定期健康診断の受診率100%は、たしかに健康経営のスタートラインとして大切です。しかし、健診はあくまで「カラダの通信簿」をもらうイベントに過ぎません。その結果を見て「なぜこの数値が悪いのか」「どうすれば改善できるのか」を従業員自身が判断し、行動を変えさせる力であるヘルスリテラシーも、健康経営に欠かせない要素です。今回は健康経営支援サービス「ビズリフレ」の健康経営アドバイザー・大住 奈保子さん監修のもと、健康経営の質を左右する、従業員と組織のヘルスリテラシー向上に向けた理論と実践的手法を解説します。
監修者紹介
健康経営支援サービス ビズリフレ 健康経営アドバイザー
大住 奈保子(おおすみ・なほこ)
1984年、京都府生まれ。大阪市立大学文学部哲学歴史学科卒業。出版社勤務を経て2015年にフリーの編集者・ライターとして独立、2017年に株式会社Tokyo Editを設立。現在代表。ソフトウェア開発や企業の集客に役立つWebコンテンツ制作、リラクゼーションサロンの運営などの事業を展開する。2023年に健康経営関連をはじめとした資料作成代行サービス「atDOCUMENT(アットドキュメント)、2025年に企業向け出張整体を手がける「整体サロンwarm forest」と健康経営支援サービス「ビズリフレ」を開始。健康経営アドバイザーとして企業の健康経営を支援している。
そもそも「ヘルスリテラシー」とは何か?
ヘルスリテラシーとは、健康情報を適切に「入手・理解・評価・活用」し、意思決定に役立てる力のことです。個人のヘルスリテラシー向上が組織全体の生産性に直結するため、健康経営においても注目を集めています。ここでは、ヘルスリテラシーの本質を理解するため、4つの構成要素と3つのレベル、ヘルスプロモーションとの関係性を解説します。
ヘルスリテラシーの4つの構成要素
【図表1】ヘルスリテラシーの4つの構成要素

ヘルスリテラシーとは、健康情報を処理するプロセスを4段階で定義したものです。具体的には、以下の4つの能力から成り立っています。
- 入手する能力: 必要となる情報やサービスを見つけ出し、アクセスする能力。
- 理解する能力: 見つけ出した情報やサービスを正確に読み取り、理解する能力。
- 評価する能力: 情報やサービスの有用性や信頼性を吟味し、自分に必要かどうかを判断する能力。
- 活用する能力: 評価した情報に基づいて、意思決定や行動に移す能力。
参考文献
日本地域看護学会誌「ヘルスリテラシー」
ヘルスリテラシーの3つのレベル
【図表2】ヘルスリテラシーの3つのレベル

ヘルスリテラシーの世界的権威であるオーストラリアの公衆衛生学者・ナットビーム(Nutbeam)氏のモデルによると、ヘルスリテラシーは上記の3つの階層に分類されます。
このうち、SNSなどで膨大な情報があふれる現代では、特にレベル3の「批判的ヘルスリテラシー」の重要性が高まっています。
参考文献
日本ヘルスコミュニケーション学会雑誌「日本人男性労働者におけるヘルスリテラシーと生活習慣,主観的健康感との関連 :受診勧奨該当者を対象に」
「ヘルスプロモーション」と「健康教育」の関係
ヘルスリテラシーは、WHOが提唱する「ヘルスプロモーション」の重要な成果の一つです。ヘルスプロモーションとは、「人々が自らの健康とその決定要因をコントロールし、改善できるようにするプロセス」を指します。
このプロセスを具体的に支援する教育的アプローチが「健康教育」です。従来の健康教育が知識の伝達に重きを置いていたのに対し、現代の健康教育は、情報を主体的に活用して環境に働きかけるスキルの習得を目指しています。
つまり、「ヘルスプロモーション」という概念を受けて「健康教育」を実施し、その結果として個人が習得する実践的な能力が「ヘルスリテラシー」なのです。これら三者は、個人の健康を支える一連のサイクルとして深く結びついています。
参考文献
健康経営でヘルスリテラシーの向上が求められる理由
健康経営においてヘルスリテラシーの向上は、従業員、ひいては企業全体の生産性を高めるとして注目されています。
先述のとおり、現代はSNSなどで真偽不明な健康情報が氾濫しています。例えば、「〇〇だけ食べていればOK」「△△すると1週間で10kg痩せる」といった極端な情報に従業員が惑わされてしまうと、心身の不調を悪化させてしまうかもしれません。
企業がどれほど手厚い健康施策を提供しても、受け手である従業員が情報を正しく「評価・活用」できなければ、施策は十分に機能しません。
ヘルスリテラシーが高まれば、従業員は誤った情報に惑わされることがなくなります。加えて、自律的に心身の異変に気付き、早期受診やセルフケアを選択できるようにもなるでしょう。これが結果として、従業員の休職・離職の防止に繋がり、組織の業績向上を支える基盤となるのです。
ヘルスリテラシーが低い人の傾向
ヘルスリテラシーが低いと、どのような影響が現れるのでしょうか? ここでは、ヘルスリテラシーが低い人の特徴と、それによる影響を表でまとめました。
【図表3】ヘルスリテラシーが低い人の特徴と現れやすい負の影響
| ヘルスリテラシーが低い人の特徴 | 現れやすい負の影響 |
| 病気・治療・薬などの知識が少ない | 正しい知識がないため、誤った民間療法に頼るリスクがある。 |
| 医学的な問題の最初の兆候に気づきにくい | 体の異変を軽視し、受診が遅れる原因となる。 |
| 長期間または慢性的な病気を管理しにくい | 服薬や食事療法の意義を理解できず、自己判断で治療を中断してしまう。 |
| 保健医療専門職(医師など)に自分の心配をうまく伝えられない | 対話を通じた適切な意思決定が困難になる。 |
| 慢性の病気のために入院しやすい | 適切なセルフケアができず、重症化を招く傾向がある。 |
| 職場でケガをしやすい | 安全衛生の情報を正しく理解できず、労働災害のリスクが高まる。 |
「組織のヘルスリテラシー」も問われている
ヘルスリテラシーの向上は、従業員個人の努力だけで完結するものではありません。実は、それを受け入れる「組織のヘルスリテラシー」も強く問われています。
例えば、「心身に不調があっても休めない」「健康増進の取り組みがしにくい」といった企業風土がある場合、それは組織全体のヘルスリテラシーが低い状態といえます。どれほど従業員が知識を入手できていても、職場の文化がそれを阻害すれば、適切な健康行動はとれません。
健康経営を実現させるには、従業員への教育だけでなく、組織として「健康をコントロールしやすい環境」を作ることが不可欠です。「組織のヘルスリテラシー」を高めることで、従業員は最大限にパフォーマンスを発揮できるようになります。
「CCHL」で組織のヘルスリテラシーを測ってみよう
ヘルスリテラシー向上の対策を実施する前に、自社の従業員の現状を把握しましょう。代表的な評価手法として、ナットビーム氏が提唱した「CCHL(Communicative and Critical Health Literacy)」があります。
以下の5項目に対し、「全くそう思わない/そう思わない/どちらでもない/そう思う/強くそう思う」の5段階で回答してもらうことで、「伝達的・相互作用的ヘルスリテラシー」と「批判的リテラシー」を測定できます。
【図表4】CCHLにおける5つの質問項目
| 項目 | 質問内容 |
|---|---|
| 情報の収集 | ①さまざまな情報源から健康に関する情報を集めることは、あなたにとって容易ですか? |
| 情報の選別 | ②知りたい情報をたくさんある中から健康に関する情報を選び出すことは、あなたにとって容易ですか? |
| 情報の理解 | ③健康に関する情報の内容を理解し、人に伝えることは、あなたにとって容易ですか? |
| 情報の評価 | ④健康に関する情報の信頼性を判断することは、あなたにとって容易ですか? |
| 情報の活用 | ⑤健康に関する情報をもとに健康改善の計画を立てることは、あなたにとって容易ですか? |
参考文献
Health Promotion International「Developing a measure of communicative and critical health literacy」
日本地域看護学会誌「ヘルスリテラシー」
ヘルスリテラシーを向上させる「具体的な手法」
では、企業は具体的に何をすべきでしょうか。段階的なアプローチを提案します。
1. 【基礎】健康情報を得る機会の提供
まずは、多くの企業が目標とする「健康経営優良法人(中小規模法人部門)」の認定項目をベースラインとしましょう。具体的には、以下の2点をクリアする必要があります。
- 1年度に1回以上の、健康をテーマとした従業員研修の実施
- 月1回以上の、健康をテーマとした情報提供の実施
これらは認定取得に必須のアクションですが、一方的な「座学」や「メール配信」だけでは、従業員の行動を変えるには至らないのが現実です。形骸化を防ぐためには、従業員の関心に合わせてテーマを選ぶ「パーソナライズ化」や、学んだ直後に実践できる「ワークショップ形式」の導入が有効です。
参考文献
2. 【実践】ワークショップの導入
本当に健康経営を推進するためには、知識を詰め込むだけでなく、従業員が「自発的に」健康行動を起こすための支援が必要です。
そこでおすすめなのが、講師の話を一方的に聞く講義スタイルの研修ではなく、参加型であるワークショップを導入することです。例えば、「自分の生活習慣の課題は何か?」「明日から無理なくできるスモールステップは何か?」をグループ内で話し合い、最後に全員の前で宣言するプログラムが効果的です。
仲間と対話しながら目標を言語化することで、従業員のなかに健康に対する当事者意識が芽生えます。また、他者の取り組みを聞くことで「それなら自分にもできそう」という相互作用も期待できるでしょう。
3. 【応用】「ナッジ」と「批判的リテラシー」の併用
近年、行動経済学の理論を用いた「ナッジ(nudge:肘で軽く突く)」が注目されています。これは、罰則や強制を用いず、望ましい行動へと自然に誘導する手法です。施策例として、下記のようなものが挙げられます。
- 社員食堂のヘルシーメニューを一番目立つ位置に置く(無意識に健康的な食事を選ぶようになる)
- 階段を使いたくなるようなステッカーを貼る(運動の心理的ハードルを下げる)
- 25分集中して5分休む「ポモドーロ・テクニック」を推奨する(脳の疲労をリセットできる)
- 朝礼での「腰痛予防ストレッチ」をルーティン化する(怪我を未然に防ぐ)
このような「ナッジ」を活用した環境整備は効果的です。しかし、「無意識のうちに誘導されている(受動的である)」という側面があるため、環境が変われば元の習慣に戻ってしまいかねません。
そのため、ナッジで行動のきっかけを作りつつ、「なぜその行動が良いのか」「この情報は信頼できるか」を自分で判断できる「批判的ヘルスリテラシー」の教育を並行して行うことが不可欠です。
参考文献
厚生労働省「生活習慣改善領域におけるナッジの具体例と有効性」
ヘルスリテラシーは企業の生産性を左右する
ヘルスリテラシーが向上し、健康情報へのアクセス・理解・評価・活用というサイクルを従業員自身が回せるようになれば、自律的な健康維持が可能となり、企業全体の生産性は向上します。
まずは「CCHL」を用いて組織の現状を客観的に把握し、ワークショップやナッジを組み合わせた「行動を変えるための教育」を始めてみてはいかがでしょうか。個人の力と組織の環境、その両輪を整えることこそが、健康経営を実現するための最短ルートです。

