テレワーク、長時間のデスクワーク、オンライン会議の増加――。現代の働き方は、従業員の心身にさまざまな負荷を与えています。肩こり、腰痛、頭痛、慢性疲労、集中力低下、イライラ……。一見バラバラに見えるこれらの不調には、共通する「根っこ」があります。“姿勢の乱れ”と“ストレス反応”が互いに影響し合い、不調を加速させているという点です。
しかし、産業保健の現場では、腰痛や肩こり対策は「身体のケア」、ストレスや気分の落ち込み対策は「メンタルケア」というように、“別々のもの”として扱われがちです。この記事では、姿勢・ストレス・パフォーマンス低下の密接な関係と、企業が従業員に対してどのような健康施策を実施すべきかを解説します。
姿勢の乱れが心身に与える影響
姿勢の乱れは単に見た目が悪いというだけの問題ではありません。身体の位置や筋肉の緊張状態は、自律神経・呼吸・脳の働きと密接に連動しています。ここでは、姿勢が心身にどのような影響を与えるかを解説します。
1. 呼吸が浅くなり、緊張状態が続く
猫背や前かがみの姿勢は、肺を囲む「胸郭」という部位を圧迫し、横隔膜の動きを制限します。その結果、呼吸は浅く速い「胸式呼吸」となり、脳はこれを「危機状況」と誤認して交感神経を優位にさせます。この状態が続くと、身体は常に緊張状態となってしまい、休まる暇がありません。ストレス反応が強まったり、慢性的なだるさを感じるようになったりすることもあります。姿勢の乱れは、本人の意思に関わらず、自律神経を通じて「リラックスできない心」を強制的に作り出してしまうのです。
2. 首・肩の緊張が慢性化し、脳疲労が進む
悪い姿勢のままでいると、重たい頭を支えるために首や肩に強い負荷がかかり、筋肉が凝り固まってしまいます。これによって引き起こされるのが、首肩こりや腰痛、頭痛、眼精疲労などです。また、筋肉の硬直は脳への血流不足も引き起こします。血流不足は脳への酸素や栄養の供給を低下させ、集中力の欠如や判断力の低下を招きます。このような状態が「脳疲労」です。午後の作業効率が落ちるのは、気合が足りないからではなく、首・肩の緊張による「脳のオーバーヒート」が原因かもしれません。
3. 良くない姿勢が良くない心理状態を形づくる
身体と心は深く結びついており、その関連性はさまざまな角度から研究されています。例えば、人間工学や心理学の研究では、猫背や縮こまった姿勢は不安や無力感を強め、逆に胸を開いた堂々とした姿勢はストレスホルモンを抑制し、自信を高めることが示されています。つまり、心の不調が姿勢を悪くするだけでなく、「姿勢の乱れがネガティブな感情を自動生成する」こともあるのです。前向きな心理状態になるために、まず姿勢から整えることは科学的にも有効とされています。
参考文献
産業衛生学雑誌「VDT作業時における姿勢の違いが計算作業および精神的ストレスに及ぼす影響」
つまり、姿勢とストレスは分けて考えられるものではなく、一つの連動したメカニズム なのです。姿勢の乱れはストレスの可視化ともいえます。
オフィスワーカーは“姿勢が崩れる環境”で働いている
企業の従業員のなかでも、オフィスワーカーは特に姿勢が崩れやすい環境で働いているといえるでしょう。ここでは、姿勢の乱れの原因となりうるオフィスワーカーの職場環境を挙げていきます。
1. 長時間の画面を見下ろす姿勢
ノートPCやスマートフォンの普及により、長時間にわたって視線が下向きになる機会が増えています。そのせいで、頭が前方へ突き出る「ストレートネック(スマホ首)」になっている人も多いのではないでしょうか。成人の頭部の重さは約5kgありますが、前方にわずか15度傾くだけで、首(頸椎)への負荷は約2倍に増大するとされています。こうした負荷が首周辺の神経を圧迫し、自律神経の乱れを引き起こしてしまいます。
参考文献
SBC整形外科クリニック「スマホ首(ストレートネック)の原因と整形外科での対処法」
2. オンライン会議による“固まった姿勢”
オンライン会議では、対面のとき以上に緊張を感じる人が多く、さらに「相手の話を聞いている」という姿勢を示すため、画面を注視したまま身体が静止しがちです。この「固まった姿勢」が問題で、画面に集中するあまり肩をすくめたような姿勢が続くと、血流が急激に滞ります。緊張から呼吸が浅くなりがちなうえ、物理的な移動がないため筋肉のポンプ作用も働きません。オンライン会議では、精神的な緊張と身体の硬直が同時に進行しているのです。
3. 座りっぱなしの仕事
「座りすぎ」は、現代のオフィスにおける最大の健康リスクの一つです。座位は立位に比べ、腰への負荷が大きくなります。長時間座り続けると、下半身の筋肉活動が停止し、凝り固まって血流や代謝が低下してしまいます。この状態は脳への血流も阻害するため、思考が鈍り、やる気も減退してしまうでしょう。世界的に見ても日本人の座席時間は長く、企業にとって「座りっぱなし」の解消は急務の課題です。
参考文献
4. 自分に合わない椅子・デスク
多くのオフィス家具は、標準的な男性の体格を基準に設計されています。そのため、特に小柄な女性従業員の場合、体格に合っていないオフィス家具が不調の原因となっているケースは少なくありません。足が床につかない、机が高すぎるといった不適合は、無理な前傾姿勢や肩をすくめたような姿勢を強制することになり、慢性的な筋肉の緊張を招きます。そうした状態が、従業員の集中力を奪っている可能性があります。
もし、自社でこのような職場環境が常態化しているのであれば、姿勢の悪さの原因は従業員ではなく、職場環境にあるといえます。この視点がとても重要です。
姿勢の乱れが従業員と企業に与える影響
前述のような職場環境で働き続けていると、従業員は心身ともに不調となり、やがては仕事にも支障をきたすようになるでしょう。ここでは、従業員の姿勢が悪くなることで、企業にどのような影響が出るのか説明します。
従業員が受ける影響
姿勢の乱れは、従業員から「活力」と「集中力」を奪い去ります。それにより、判断が鈍ったり、作業スピードが落ちたりすることがありえます。浅い呼吸が続くことで不安や焦燥感が募り、精神的に不安定な状態になることも。さらに、姿勢の乱れによる筋肉の緊張は睡眠の質も低下させ、翌日のパフォーマンス低下につながる悪循環を生みます。
結果として、従業員の仕事への意欲(ワーク・エンゲイジメント)が削られ、本来のポテンシャルを発揮できない状態に陥ります。これは、従業員のキャリア形成や私生活の質をも脅かす深刻な問題です。
企業が受ける影響
姿勢の悪化に起因する肩こりや腰痛、集中力の低下は、従業員一人ひとりの生産性を下げ、組織全体のパフォーマンスを停滞させます。また、身体の不調がメンタルヘルス悪化のトリガーとなり、急な休職や離職を招くことも考えられます。そうなれば、採用・教育コストの増大にもつながるでしょう。このような事態を防ぐためには、従業員の状態が「未病(発病には至っていないものの、健康な状態から離れつつある状態)」の段階で企業が介入し、解決に取り組むことが重要です。
企業が「姿勢 × ストレスの問題」の解決に取り組む意義
企業が「姿勢 × ストレスの問題」の解決に取り組む意義は、単なる福利厚生を超えた「戦略的な投資」にあります。姿勢という可視化しやすい指標を用いることで、メンタルヘルス不調の予兆を早期に捉え、休職・離職リスクを未然に防ぐことが可能になります。これは、企業の採用ブランディングにも役立つでしょう。
また、心身のコンディションを整える仕組みの構築は、職場環境の改善や従業員のモチベーションアップなどにもつながります。それにより、従業員ひいては企業全体の生産性がアップし、業績向上を期待できます。従業員の姿勢改善は、企業の持続的な成長を支える基盤となるでしょう。
企業が取るべきアプローチの流れ
「姿勢 × ストレスの問題」は、従業員個人に任せるだけでは解決しません。企業として、従業員の姿勢を正す仕組みを構築する必要があります。とはいえ、具体的にどのようなことをすればいいのか、悩む方もいるでしょう。ここでは、企業が「姿勢 × ストレスの問題」の解決に取り組むうえでの、アプローチの流れについて説明します。
1. 姿勢の“可視化”を行う
健康経営の第一歩は、主観的な「なんとなく調子が悪い」を客観的なデータに変えることです。最新のAI姿勢分析などを活用し、従業員一人ひとりの姿勢の歪みや筋肉の緊張状態を数値化・画像化することで、本人も気づいていなかった不調の根本原因が浮き彫りになるでしょう。姿勢の可視化は、従業員の健康意識(ヘルスリテラシー)を劇的に高めるだけでなく、人事が組織全体の疲労度を把握し、適切な対策を講じるための指標にもなります。
なお、姿勢に関するデータは、健康経営の評価項目やレポートにも活用できます。「姿勢 × ストレスの問題」施策を進めるうえでは、「メンタルヘルス不調の初期サインの把握」と「不調を早期に発見し、人事が早期に動ける仕組みの構築」を組み合わせることが重要です。
2. 定期的な“専門家の介入”を組み込む
従業員が自ら行うセルフケアには限界があります。長年の習慣や癖で固まった筋肉や骨格の歪みは、専門的な知識を持つセラピストやボディワーカーによる直接的な介入が不可欠です。このとき、従業員の状態・改善点・セルフケア方法をレポートにまとめ、企業側にもフィードバックするとより効果的です。
定期的な施術は、筋肉の緊張をリセットするだけでなく、従業員に自分の身体の状態を再認識させる貴重な機会となります。プロの手による確かな変化を実感することで、健康施策への信頼感とモチベーションが高まり、ストレッチなどを自主的に行うようになるなど、行動が変化していくでしょう。
3. 職場環境を小さく改善する
個人の努力に頼るのではなく、自然と良い姿勢が保てる環境への投資が、最も持続的な効果を発揮します。モニターの高さを目線の位置に合わせる、椅子の座面を適切に調整する、あるいは昇降デスクを導入して立ち作業を混ぜるなど、小さな改善が身体への負担を軽減させます。また、1時間に一度の「マイクロブレイク(小休憩)」を仕組み化するなど、動くことを推奨するオフィス文化の醸成が、結果として従業員の集中力の持続と生産性向上につながります。
姿勢ケアは“経営投資”である
姿勢の乱れとストレスは、従業員の不調の多くを占める根本要因です。放置し続ければ、生産性の低下や業績の悪化、休職・離職リスクといった悪影響を企業にもたらすでしょう。
姿勢データの活用、専門家の介入、環境改善――。これらを組み合わせることで、企業は従業員の健康維持とパフォーマンスの向上を同時に進めることができます。従業員の健康は、企業の競争力そのもの。姿勢を入口にした産業保健のアップデートは、企業の未来への重要な投資といえるでしょう。

