健康経営というと、フィットネスアプリの導入やヘルスケアイベントといった施策に目が向きがちですが、その土台にあるのは労働安全衛生法をはじめとする法令に基づいた安全で衛生的な職場環境の整備です。法令基準を満たさないまま放置していると、従業員の不調に対する安全配慮義務違反として損害賠償リスクを抱える事態にまで直結します。
この記事では、労働安全衛生法のうち事務所衛生基準規則で定められている義務項目・努力義務項目を中心に、法令に基づいたオフィスの環境整備方法について解説します。自社の環境が基準を満たしているかを確認できるチェックリストも用意していますので、適切に活用して健康経営のステップアップへつなげていきましょう。
※この記事の内容は、2026年7月時点のものです。実際にオフィスの環境整備に取り組む際には、必ず厚生労働省のサイトなどで最新情報をご確認ください。
監修者紹介
健康経営支援サービス ビズリフレ 健康経営エキスパートアドバイザー
大住 奈保子(おおすみ・なほこ)
1984年、京都府生まれ。大阪市立大学(現:大阪公立大学) 文学部哲学歴史学科卒業。出版社勤務を経て2015年にフリーの編集者・ライターとして独立。2017年に株式会社Tokyo Editを設立し、代表取締役に就任。ソフトウェア開発や企業の集客に役立つWebコンテンツ制作、リラクゼーションサロンの運営などの事業を展開する。2026年6月、社名を株式会社ビズリフレに変更し、健康経営支援事業を本格的に開始する。
オフィスの環境整備、義務項目に漏れなく対応するには?
一般的なオフィスで事務作業を行う職場には、企業規模を問わず、原則として事務所衛生基準規則が適用されます。これらは健康経営の任意施策ではなく、労働安全衛生法に基づく最低基準です。主な義務項目を、実務上確認しやすい形で整理します。
1.執務スペースの広さと空気環境
狭くて息苦しいオフィスは、生産性を落とすだけでなく、感染症リスクやストレスを増大させます。法令では、労働者1人あたり10立方メートル以上の気積(空間の容積)を確保することが義務づけられています。
ここで注意が必要なのが、「床面積だけで判断してはいけない」という点です。例えば、天井高2.5メートルの部屋であれば、単純計算では1人当たり約4平方メートルとなりますが、収納棚や大型設備などが占める容積を差し引く必要があります。
また、気密性の高い現代オフィスでは換気が極めて重要です。下表を参考にして、窓などによる自然換気を行うか、機械換気設備を設置するか判断しましょう。
職場における空調・空気環境の基準一覧表
| 項目 | 一般的な事務所 | 空調・機械換気設備ありの場合 |
| 一酸化炭素 (CO) | 50ppm以下 | 原則10ppm以下 |
| 二酸化炭素 (CO2) | 5,000ppm以下 | 1,000ppm以下 |
| 浮遊粉じん | - | 0.15mg/㎥以下 |
| ホルムアルデヒド | - | 0.1mg/㎥以下 |
| 気流 | - | 0.5m/秒以下(特定の席への直撃防止義務) |
なお、現場で問題になりやすいのが、会議室のCO2濃度の急上昇とエアコンの風の直撃です。大人数が集まる会議室で換気が追いつかないケースや、特定の席にだけ空調の風が当たり続けて体調不良を引き起こすケースは後を絶ちません。
そのため、サーキュレーターによる空気循環や風よけカバーの設置など、運用面での配慮が求められます。
2.温度・湿度と設備の定期点検
法令上、室温が10度以下になる場合、暖房その他の温度調節措置を講じる義務があります。一方で、空調設備がある職場での以下の範囲は、現状では義務ではなく努力目標です。
- 室温:18度以上28度以下
- 相対湿度:40%以上70%以下
したがって、室温が一時的に29度になっただけで直ちに法令違反になるわけではありません。しかし、猛暑日に空調が故障したまま放置して熱中症患者を出した、などの事態が発生した場合、企業は安全配慮義務違反に問われる可能性が高くなります。
加えて、空調設備は定期的に点検し、3年間の記録保存を行うことも義務付けられています。
主要設備の定期点検・測定義務一覧表
| 対象設備・測定項目 | 点検・測定の頻度 | 記録保存期間 |
| 機械換気設備 | 初回時/修繕時/2か月以内ごとに1回 | 3年間 |
| 空気調和設備(中央管理) | CO/CO2・温度・湿度等を2か月以内ごとに1回 | 3年間 |
なお、賃貸オフィスに入居している場合、空気環境の測定や設備の点検はビル管理会社が実施していることがほとんどです。自社が記録を保持しているか、ビル側から定期報告書を受領・保管できているかを、総務担当者は必ず確認しておきましょう。
3.照明・騒音・振動
目の疲れや頭痛、精神的ストレスに直結するのが、明るさ(照度)と音環境です。
ポイントとして、作業に必要な照度は事務所全体ではなく、書類を読む机上面や実際に手元で作業する位置で測定しなければなりません。パーティションで光が遮られて暗くなっている席がないかなどの確認も必要です。
作業区分と最低照度・照明点検基準表
| 作業区分 | 最低照度 | 点検頻度 | 現場でのチェックポイント |
| 一般的な事務作業 | 300ルクス以上 | 6か月以内ごとに1回 | キーボードの手元や資料の位置で測定する。パソコン画面への映り込み(グレア)防止も必須。 |
| 付随的な事務作業 | 150ルクス以上 | 6か月以内ごとに1回 | 廊下、階段、倉庫、資料室など。著しい明暗差や画面の映り込み防止も必要。 |
また、複合機やサーバーの稼働音、屋外からの工事音が響く環境では、業務に集中することは難しいでしょう。従業員からの「うるさい」という声を放置せず、遮音パネルの設置やデスク配置の変更といった、具体的なノイズ対策を講じる必要があります。
4.飲用水・手洗い・トイレ
従業員の衛生管理の基本となる給排水設備とトイレにも、ルールが定められています。
飲用水は、安全な水道水が確保できていれば基本的に問題はなく、ウォーターサーバーなどの設置は任意です。トイレに関しては清潔さの維持だけでなく、就業人数に応じた個数の設置が義務付けられています。
職場におけるトイレの最低設置基準
| 区分 | 最低設置数基準 | 例外規定(特例) |
| 男性用大便所 | 男性60人以内につき1便房 | 同時に就業する人数が常時10人以下の場合:男女共用の「独立個室型便所」1か所で可。 ※四方が壁と扉で囲まれていて施錠ができ、手洗いが内部にある空間に限る |
| 男性用小便所 | 男性30人以内につき1か所 | - |
| 女性用便所 | 女性20人以内につき1便房 | - |
トイレの数については、急激な従業員の増員でトイレが不足すると、待ち時間の増加や職場環境への不満につながる可能性があります。そのため、従業員数に応じた適切な整備ができているか、忘れずにチェックしましょう。
5.休養室・更衣設備・立ち仕事用のいす
常時50人以上、または常時女性30人以上の従業員を使用する事業場では、横になれる男女別の休養室(または休養所)を設置する義務があります。休養室は、体調不良者がすぐ横になることができ、外部からプライバシーが守られる空間でなければなりません。そのため、常時荷物が置かれている物置や予約が入っている会議室との兼用は認められません。
また、衣服が汚れたり濡れたりする業務がある場合は、更衣設備を設置することが義務付けられています。さらに、受付や接客、立ち作業を行う現場で、業務の合間に座れる機会がある場合は、従業員が利用できるいすを用意しなければなりません。「立っていたほうが見栄えが良いから」という理由だけで、従業員に立ちっぱなしを強制しないようにしましょう。
6.救急用具・清掃・害虫対策
かつては、「包帯〇個、ピンセット〇本」のように細かく品目が指定されていた救急用具ですが、現在は画一的な指定が廃止されています。自社の事業内容やリスクに応じた用具を揃え、どこに何があり、どう使うかを従業員へ周知徹底することが必要です。
オフィスの救急箱に備えておくものリスト
| 分類 | 備えておくもの | 用途 |
|---|---|---|
| 傷の手当 | 絆創膏(各サイズ) | 切り傷・擦り傷 |
| 滅菌ガーゼ | 出血時の保護 | |
| 包帯 | ガーゼ固定 | |
| 医療用テープ | 包帯固定 | |
| 三角巾 | 応急固定 | |
| 止血 | 圧迫用ガーゼ | 出血時 |
| 保護 | 使い捨て手袋(ニトリル推奨) | 感染防止 |
| マスク | 応急対応時 | |
| 冷却 | 瞬間冷却パック | 打撲・ねんざ |
| 保冷剤(冷凍庫) | 炎症・熱中症 | |
| 測定 | 体温計 | 発熱確認 |
| 血圧計(あると望ましい) | 体調不良時 | |
| その他 | はさみ | 包帯等の切断 |
| ピンセット | 異物除去 | |
| 安全ピン | 三角巾固定 | |
| アルミブランケット | 防寒 | |
| 懐中電灯 | 停電時 |
また、清潔な職場環境を保つため、日常清掃に加えて定期的な大掃除や害虫調査を行うことも義務化されています。
清掃・害虫対策の実施周期表
| 実施項目 | 頻度 | 実務上のチェックポイント |
| 統一的な大掃除 | 6か月以内ごとに1回 | 日常清掃で手が回らない箇所の実施。 |
| ねずみ・昆虫などの調査 | 6か月以内ごとに1回 | 単に殺虫剤を撒くのではなく、「発生・侵入状況を調査し、必要に応じた防除を行う」ことが必要。 |
7.オフィスに欠かせない必須の環境整備
ここまで解説した事務所衛生基準規則に加えて、現代のオフィス環境整備では下記の項目に対する対処も欠かせません。
- 受動喫煙防止対策(健康増進法・安衛法): 事業場内での受動喫煙対策は企業の法的義務。原則屋内禁煙とし、喫煙室を設ける場合は「技術的基準(出入口の向かい風風速0.2m/s以上、屋外排気等)」を満たした専用室を作る必要がある。
- 情報機器作業(VDT作業)環境: デスクワークが主流の現在、厚生労働省のガイドラインに基づき、ディスプレイ画面の明るさ調整、画面への映り込み防止、足元が安定し調整可能ないす・デスクの配慮、および「1時間ごとに10〜15分の作業休止」を促す運用が不可欠。
参考文献
e-Gov法令検索「事務所衛生基準規則」
厚生労働省「ご存知ですか?職場における労働衛生基準変わりました」
厚生労働省「事務所衛生基準規則及び労働安全衛生規則の一部が改正されます」
厚生労働省「職場における受動喫煙防止対策について」
厚生労働省「情報機器作業における労働衛生管理のためのガイドライン」
高齢の従業員や女性従業員も働きやすいオフィスにするには?
最低限の法的義務をクリアしたら、次は多様な人材が長く安全に働ける環境づくりへとステップアップしましょう。義務と努力義務、任意施策(健康経営領域)の違いを整理して取り組むことが重要です。
1.高齢の従業員への配慮
労働安全衛生法の改正(高年齢者の労働災害防止のための措置)により、高年齢労働者が安全に動ける環境づくりは、事業者の努力義務として明確に位置づけられています。高齢者の身体機能の変化に配慮した環境整備は、現在すべての事業者が取り組むべきテーマです。
高齢者向け職場環境チェックリスト
| 項目 | 法的位置づけ | 実務での具体的アクション |
| 転倒防止対策 | 安全配慮義務・努力義務 | 通路の段差解消、コード類の整理、滑りにくい床材の採用 |
| 照度の追加確保 | 努力義務 | 高齢者は加齢により明るさが必要になるため、部分照明(デスクライト)を追加 |
| 手すりの設置 | 努力義務 | 階段、段差のある箇所、トイレ等に必要な手すりを設置 |
| 身体的負荷の軽減 | 努力義務 | 重い書類や資材を運ぶための台車・昇降リフトの導入 |
| 視認性の向上 | 努力義務 | 案内表示や危険箇所の掲示を大きめの文字・高コントラストにする |
| 作業ペースの配慮 | 努力義務 | 高齢者の体調や体力に応じた作業内容の見直しや休憩時間の確保 |
2.女性従業員への配慮
女性活躍推進やウェルビーイングの観点から、女性特有の健康課題に寄り添う環境整備も求められています。法的義務と、健康経営としての推奨施策を分けて理解しておきましょう。
女性従業員向け職場環境チェックリスト
| 項目 | 法的位置づけ | 根拠法令・指針 | 実務での具体的アクション |
| 男女別トイレ・女性用休養室 | 義務 | 事務所衛生基準規則 | 人数に応じた個数・スペースの確保(前述) |
| 妊産婦の保護措置 | 義務 | 労働基準法 | 危険有害業務の制限、母健連絡カードに基づく時短・時差出勤 |
| ハラスメント防止対策 | 義務 | 男女雇用機会均等法 | マタハラ・セクハラ相談窓口の設置と周知 |
| 生理日の措置(生理休暇等) | 義務 | 労働基準法第68条 | 就業が著しく困難な女性が請求した際の措置(取得しやすい雰囲気作り) |
| 女性特有の健康支援 | 任意(推奨) | 健康経営度調査項目 | 婦人科検診の費用補助、フェムテック相談窓口の開設 |
| 快適性の向上 | 任意(推奨) | 健康経営度調査項目 | 生理用品のトイレ常備、搾乳室・専用休憩スペースの設置 |
参考文献
厚生労働省「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」
厚生労働省「高年齢労働者の安全衛生対策について」
厚生労働省「女性労働者の母性健康管理等について」
厚生労働省「雇用における男女の均等な機会と待遇の確保のために」
厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」
法令遵守で「守り」を固めて、真の「健康経営」へ
健康経営の成功は、華やかなイベントやユニークな福利厚生の導入だけで決まるものではありません。その第一歩は、「事務所衛生基準規則」などの法的義務を誠実に履行し、従業員が安全かつ衛生的に働ける基盤を整えることです。
この記事で解説した内容やチェックリストを活用して、自社の執務室や点検記録の確認から始めてみてください。法令を遵守して「守り」を固めることが、従業員エンゲージメントを高め、持続可能な企業成長につながる「健康経営」への第一歩となります。
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